FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年3月28日放送

今回は、朝日町をナビゲート。
『朝日町歴史博物館』の館長・後藤勝則さんと、学芸員の竹内弘光さんが紹介してくれます。
朝日町は、東海道とともに歩んできた町。
道沿いには、歴史的建造物や古くからの酒蔵が並びます。
週末になると県外からウォーキングを楽しみにたくさんの人が訪れているそうです。
魅力いっぱいの町ですね。

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      後藤さん(左)と竹内さん

■焼きハマグリを味わうことのできる『日乃出食堂』

後藤 最近は毎週のように県外からお客さんが見えます。
遠くは大阪や京都から、東海道を歩かれるということで、『朝日町歴史博物館』を訪れ、桑名・四日市方面に向けて歩いて行かれます。
最近良く聞くのは、四日市の追分をスタートして、桑名の『七里の渡し』までのコース。
これを一日分として、何度かに分けて歩き、東海道を踏破するそうです。

朝日町での立ち寄りどころとしては、『伊勢朝日』駅前に『日乃出食堂』というお店があります。
かつて朝日町でも焼きハマグリが売られていたのですが、『日乃出食堂』では現在も焼ハマグリを提供しているので、これから朝日町の新たな名物として、町づくりに活かせれば、と考えています。


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■朝日町は桑名藩、七里の渡しから富田、四日市へとつなぐ道

後藤 桑名の『七里の渡し』からの一里塚が朝日町内にあります。
それから次に富田、四日市と、みなさんが往来していたと思いますので、これからもそれに合わせた情報発信をしていきたいですし、それによって町づくりもできれば良いな、と考えています。

エリアで言うと、ここはかつて桑名藩だったので、桑名で大きくひとくくりにされてしまうこともありますね。
『桑名の焼きハマグリ』といいますが、昔の旅の本などを読むと、先程も言ったように、朝日町や富田でも焼きハマグリが売られていました。
なので、『焼きハマグリ』をキーワードに何かできないかと考えています。
朝日町には海岸がないので、1〜2km離れたところにある海岸でハマグリを採り、売っていたのだと思います。
そのハマグリを江戸時代のメイン通りである街道沿いで、地元の名物としておもてなししていたんですね。

現在はコンロで焼きますが、当時の焼きハマグリが小向という地区で松笠を使って焼かれていたと、浮世絵などにも描かれています。
ちなみにこの『小向』という地名、『おぶけ』と読みます。
これを一回で読める方は少ないと思います。
昔の大字(おおあざ)は桑名に近い方から、縄生(なお)、小向(おぶけ)、柿(かき)、埋縄(うずなわ)と4つありました。
柿以外は、一度で読める人は少ないでしょうね。
朝日町の入り口で縄が生まれて、出て行く時は縄を埋めていくと(笑)


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■円形校舎の朝日小学校

竹内 『朝日町資料館』は築98年、大正初期の建物です。
資料館では明治から昭和にかけて使われていた生活の道具・・・いわゆる民俗資料を展示しています。
建物は『朝日村』時代の村役場の建物をそのまま使用。
今の庁舎に移るまでの間は役場として機能していたので、その建物の雰囲気が残っているのがウリだと思っています。

それから、資料館よりは新しい時代のものになりますが、朝日町のランドマークが『朝日小学校』の円形校舎です。
近鉄の電車に乗っていると、車窓から丸い建物が見えて来ます。
この辺を通って円形校舎を見つけると、
「あ、朝日町に来たんだな」
と気づいてもらえると思います。
『朝日小学校』は登録有形文化財に指定されているんですよ。
現役施設なので、小学生たちは文化財の中で授業を受けているということになります。
古い小学校なので、三代に渡って通っている人も多いのではないでしょうか。
後藤館長も通ったとお聞きしました。
登録有形文化財的な価値としては、建てられてから50年以上経っているということ、再現することが容易でない、周りの景観を作るのに欠かせない・・・などの要因がありますが、朝日小学校の場合は、再現するのが容易でないというところで、文化財として登録されています。


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■朝日小学校の成り立ち

竹内 昔は国道1号線を走る観光バスが、「左に見えますのは、朝日小学校の円形校舎です」とガイドさんが紹介するくらい、周りから見て目につく建物でした。
なので朝日町にとっては、ランドマークとして欠かせない存在なんです。

円形校舎が建設されたのは50年以上前。
全国でも何棟か建てられたましたが、坂本鹿名夫さんという建築設計者が特許を取って、円形校舎を一手に引き受けていたそうです。
朝日小学校が建てられた昭和30年代頃は、全国的に建てられたらしいですが、生徒の数が増えた場合などの対応しづらいことから、徐々に廃れていったようです。
ただ、『円』というのはやはり目立ちますし、造形的には良かったんでしょうね。
しかし確かに円形は増築がしづらいので、朝日小学校は円形の校舎と角形の校舎の両方を使っていました。
だからこそ現在まで残ったという経緯があるんです。
少子高齢化の中で廃校や統合があるなかで、いつまでも残っているのは嬉しいですし、町の誇りです。

後藤 現在、朝日小学校の児童は1000人を超えています。
その子たちに朝日町の歴史を学んでもらって、将来町外に出た時に、朝日町のことをPRしてもらえたらな、と思います。
そして、その発信元をこの歴史博物館にしていきたいですね。

竹内 町にちなんだ歴史展なども、今後していきたいと考えております。


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■萬古焼や朝日町出身の国学者についての展示

後藤 『朝日町歴史博物館』には萬古焼や遺跡から出土したもの、また朝日町出身の国学者・橘守部の資料など、いろいろな収蔵物を展示しています。
橘守部は朝日町小向の出身で、江戸に出て学問を収めた人物。
一番わかりやすいのは、みなさんご存知の本居宣長の説に対して批判的な学説を打ち立てた人物が橘守部でした。
こうして対立軸で見てみるとわかりやすいかな、と思います。
当時、伊勢の国にはいろいろな学者さんがいたんですね。
街道沿いで情報もたくさん入ってくるだろうし、学問も進んでいたんでしょうね。

守部も本居宣長と同じく、東海道沿いに居を構えていたそうですが、何か不幸があり転居した後、学問を修めるなら江戸と、上京していったと言われています。

他に博物館で見て欲しいのは、萬古焼。
今でこそ急須や土鍋のイメージですが、始まった当時、江戸時代中期の萬古焼はお茶道具に使うような、とても色鮮やかな器だったんですね。
萬古焼は一時途絶えてしまったのですが、それを再興させた森有節という方が作った作品になると、ピンク色の釉薬をかけた、あでやかな器になります。
そのあたりの作品を見て欲しいと思います。
また、東海道のジオラマや1200年前に建っていたお寺『縄生廃寺』の三重塔の模型なども展示しています。